『SHOE DOG』を読んだら、アメリカ人から見た日本人がわかって面白かった話

こんにちは、マスラオです。

今更すぎるきらいはありますが、『SHOE DOG』を読みました。

昨年の発売以降、「売れているビジネス書ランキング」の1位を獲得したり、

ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが激推ししていたりと話題の1冊です。

書店に行くと、平積みされていることも多いため、

みなさんも一度は表紙を目にしたことがあるのではないでしょうか。

私がこの本を読んで面白かったのは3つ。

まずは、意外に新しい、ナイキという会社の成り立ち

ナイキと日本(人)との創業当初からの密接な結びつき

そして、創業者であるフィル・ナイトの人間性です。 

この本が何よりも良いのは、読んだ後に「ウォーッ!!」と叫んでどこかに走り出したくなるような爽やかなやる気を呼び起こしてくれる点です。

熱い創業者マインドと、企業の創設秘話に興味のある方にはとても面白いと思うので、

ぜひ読んでみてください。

意外と新興企業だった!?ナイキの歴史

実はアップルと同時代に創業

アディダス、プーマ、ナイキというスポーツ用品の大手三社がありますが、

実はナイキは、この3社の中では最も後発の会社です。

会社 創業年
アディダス 1920年 ドイツ
プーマ 1948年 ドイツ
ナイキ 1964年 アメリカ

ちなみに、アディダスとプーマはもともと一つのブランドでしたが、

創業者兄弟の仲違いにより、2つのブランドに分裂したという経緯があります。

ナイキの創業者であるフィル・ナイトが、前身であるブルーリボンスポーツを立ち上げたのは1964年のことですが、社名をナイキに変更したのは1971年のこと。

アップルの創業が1974年なので、実はほぼ同級生なんですね。

ナイキができた当時は、すでにアディダスもプーマもスポーツ界の巨人で、

ナイキは小さな挑戦者にすぎませんでした。

私のイメージからすると、アディダスもプーマもナイキも、すべて同時代にできた企業で、昔から切磋琢磨していたと思っていたのですが、

ナイキは、他の2社と比べると、大分新しい企業だったのですね。

日本とナイキの深すぎる結びつき

オニツカタイガーとの関係

この本を読んで驚いたことの一つが、ナイキと日本との関係です。

創立当初、ナイキ(その頃は「ブルーリボンスポーツ」という名前でしたが)は、

オニツカタイガーの靴をアメリカで売るための、いわば販売代理店として活動していました。

オニツカからアメリカに靴を送ってもらい、独自の営業網を使ってそれをアメリカで販売していたのです。

ところが、オニツカとの不和から、ナイキは独自路線で行くことを決め、

それが功を奏して、世界的なブランドとして「ナイキ」が認知されていくようになります。

もし、ナイキとオニツカとの関係が良好であったなら、

現在ナイキという会社はなく、ブルーリボンスポーツというアメリカ西海岸の

中堅の靴販売代理店が誰にも知られずにひっそりとあっただけかもしれません。

ちなみに、オニツカタイガーは会社としてはアシックスになりましたが、

ご存知のとおりブランド名はまだ残っていますね。

戦後の日本とのビジネス

戦後、といっても終戦から20年ほど経っていましたが、

本の中では、戦争で荒廃した日本の都市の風景に関する描写をみることができます。

最初に、フィル・ナイトが高品質の靴を求めて日本を訪れたときのことです。

さらに、当時、アメリカ人が日本人とビジネスを行うにあたって、

どのような折衝を行い、どのような点に苦労したのかを知ることができます。

本の記述が、外からみた日本人像のリアルなスケッチになっているのです。

この時代の日本人との商取引について書いた本を読んだことがなかったので、

とても興味深く読めました。

本の中に、

「プレゼンの感触が良くても、断られる可能性もあるし、反対に失敗したと思っても、契約を結べる可能性がある」

というような日本人の曖昧な意思表現を表した記述があるのですが、

昔から日本人は全然変わっていないんだなーと笑ってしまいました。

日本人でありながら、やきもきしてしまう部分もあり、

当時の日本人とアメリカ人のビジネスがコメディのような感覚で読め、とても面白かったです。

日商岩井との関係

日本との関係で言えば、日商岩井を外すことはできません。

今は双日という社名に変わっていますが、日商岩井はナイキの救世主でした。

詳しくは本に譲りますが、日商岩井がいなければ、確実にナイキは潰れていました。

ナイキを救ったのは、「スメラギ」と「イトー」という二人の日商商社マン。

二人とも異なるタイプの「日本人」的な性格を持っていますが、

実はナイキに対する熱い思いがあったりして、読んでいるこっちもテンションが上がってきます。

アメリカの銀行とのやりとりでナイキが苦境に立たされた時のこの2人の立ちまわりとグッとくる台詞は、下手な映画よりも感動的です

スネイプ先生が実はハリーを守ってくれていたように……(笑)

ちなみに、この2人の人物について調べてみたのですが、どうやらお二方ともご存命で、フィルナイトからサイン入りの本をもらっているようです。

※以下の記事中に、「スメラギ」さんと、アイスマン「イトー」さんが出てきます。

toyokeizai.net

哲学者フィル・ナイト

禅に影響を受ける

いわゆるCEOについて勝手なイメージは、バイタリティに溢れ、自信満々で、

人生についての疑問などあまり持たないのではないか、というものがありました。

そうでなければ、確信を持って自らの会社を正しい方向に導いていくことなどできないし、重責に耐えかねていつか心が折れてしまうのではないかと考えたからです。

ところが、フィル・ナイトの面白いところは、彼がスタンフォードを卒業してから、

ハワイに友達と2人で行って今後の人生を考えるためにのんびりしたり、

その後日本に行ってオニツカと出会った後も、他のアジアの国々や中東、ヨーロッパに行き、各地の名跡を訪ね歩くといった、とてもマイペースなところです。

そこで、彼はそこにいる人々や歴史的建造物から感銘を受け、彼自身の内部にある人生哲学を築き上げていきます。

彼は、禅の教えに非常に影響を受けるのですが、スティーブ・ジョブズも禅の影響を再三口にしていますね。

起業家の間では、禅は一種のブームだったのでしょうか。

破天荒?いやいや、むしろバランス感覚の取れた普通の人

ナイキの前身であるブルーリボンの売上が軌道に乗っても、フィル・ナイトはしばらく会計士として働き、週末のみブルーリボンの仕事をするなど、

人生のリスク管理的に言えば、「バランスのとれた」生活をしていました。

もちろん、実際の生活はバランスのとれたものなどでは決してなく、

平日も休日も激務に次ぐ激務の二重生活であったでしょうが、

それでもブルーリボン一本に絞ることなく会計士(ちなみに働いていた会社はあのPwCです!)として生計に関するセーフティーネットを持っていた点は、

割と最後の最後に安定を求める「普通の人」の考えに近いのではないかと思ってしまいました。

情熱の所在

正直言って、この本を読んでもまだ、フィル・ナイトという人の情熱がどこにあったのか、そもそも情熱など存在したのかというところが疑問に残りました。

「靴にすべてを」と表紙のカバーには書いてありますが、

彼が靴にそこまでの情熱を見出すに至った「体験」というものが、

本文中の記述からは読み取れなかったからかもしれません。

私の考えでは、彼が靴に興味を持ったのは本当でしょうが、

それは決して彼が靴が好きで好きでたまらなかったからではなく、

彼が凡庸な陸上の選手であり、純粋な走り以外のところに興味が向いたのと、

日本に来てオニツカという素晴らしい靴に偶然出会ったということが大きい気がします。

どちらかと言うと、靴に情熱を感じていたのは、ナイキの共同創業者であり、

フィル・ナイトの大学時代の陸上コーチであるバウワーマンです。

彼は、昼夜を問わず靴の改良に明け暮れ、数多くの実験を行い、

靴の制作のために日常生活の中で利用できるアイデアはすべて利用していました。

このバウワーマンの情熱と、フィル・ナイトのバランス感覚が共鳴したことが、

今日に続くナイキの成功につながったのでしょう。

まとめ

と言うことで乱暴すぎるまとめですが、

日本人のビジネスマンがアメリカでどうみられていたか、という視点からも本書は大変興味深いです。

ナイキという世界最大のスポーツブランドに、日本がこんなに深く関わっていたなんて知りませんでした。

起業家マインドに溢れる若い人たちにも、モチベーションアップのためにオススメの一冊です。