マスラオチャンネル

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「ノスタルジー」という怪物に負けそうになったら

こんにちは、マスラオです。

過去のことを思い出し、ノスタルジーに浸ることの弊害について書きました。

現在を重視するという、自戒をこめてのエントリです。

 

 

なぜ過去を思い返すのか

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「現在は辛く、過去は楽しい」という思い込み

多くの人は、現在の辛さから逃れるために、

「昔はあれだけ幸せだった」という形で過去のことを思い出してしまいがちです。

 

例:

(現在)毎日会社で仕事をしなければいけないのが辛い

(過去)大学時代は、講義をサボって一日中寝ていられるから最高だった

 

「現在は辛い→昔は辛くなかった」という思考で、

現在辛く思っていることから、意識の上だけでも逃避する方法です。

 

悩まない時期なんて本当はなかったはず

しかし、本当に、大学時代にずっと寝ていられて最高だったかというと

実際はそうでもなかったと思います。

 

卒業するために、最低限の単位は取らなければいけないし、

ゼミ発表の前は多少無理をして準備をしなければいけないし、

友達も彼女もいなくて寂しいし、将来はぼんやりしていて不安だし……

 

そして多分、大学時代にも、

 

高校時代は学校に行って勉強しているだけでよかったから楽だったな

 

と思っていたはずです。

高校時代にもたくさん悩んで辛い思い出はあったはずなのに。

 

何が言いたいかと言うと、現在の辛さから目を背けるために過去を見ても、

そこには、規格化され、美化された過去があるだけということです。

 

なぜ過去は美しく見えるのか

これは、過去の自分を他人目線で見ているからだと思います。

 

たとえば、有名人の私生活を羨んだりすることがありますよね。

良い家に住んで、美人の奥さんがいて、お金があって……と、

表面的に見える部分の私生活については、文句なしに幸せそうです。

 

しかし、その生活を得るためにはらった苦労や、有名であることの生きづらさ、

そこから生じる人間関係の面倒臭さについては、私たちは想像しません。

 

過去の自分もそれと同じで、他人目線で見ているからこそ、

細かい苦悩や苦労に注意を払えなくなってしまうのではないでしょうか。

 

人間の記憶は必ず劣化します。

過去の自分も、今の自分と同じように、悩み傷ついていたことに自覚的になれば、

過去と比べて現在が楽しくないという不幸感を感じなくてすみます。

 

遠足は「思ったより楽しくない」

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上記のように、私が感じていることを、ぴったりの例で表現してくれた人がいます。

以前、爆笑問題の太田さんが、ある番組でこんなことを言っていました。

 

小学生のとき、クラスで遠足に行くことになって。

前日までは、準備やなんかして、ものすごく楽しみにしているんだけど、

いざ当日遠足に行くと、俺は「思ったほど楽しくない」と思っちゃう。

前日まで、頭の中で想像していた遠足はもっと楽しかったはずだった。

 

だけど、何年か経ってその遠足のことを思い出すと、

「あの遠足楽しかったな」って思っちゃうんだよね。

当時は「思ったほど楽しくなかった」って思ってたはずなのに。

 

物事は、経験してみるまでが一番ワクワクしていて、

いざやってみると、「こんなもんか」という感想で終わり、

時間が経って振り返ってみると「あの時は楽しかった」と思う。

私の人生は結構この繰り返しなのですが、まさに上の例はぴったりです。

 

地元には帰らない方が良い

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ノスタルジーによる記憶の改ざんを防ぐためにはどうすれば良いのか。

 

「物理的に」思い出に返らない

先日、何年振りかで『ニューシネマパラダイス』という映画を観ました。

1989年のアカデミー外国語映画賞を受賞した作品で、

イタリアの田舎町で生まれ、のちに映画監督になる一人の男の半生を描きます。

 

映画で、主人公サルヴァトーレが、生まれ育った田舎町を離れるシーンがあります。

別れ際、父親同然のアルフレッドがサルヴァトーレに対してこう語りかけます。

 

この町には絶対に戻ってくるな。

もし、夢を諦めて途中で帰ってきても絶対に会わない。

私のことは死んだと思え。

 

サルヴァトーレは町を離れ、都会に出て映画監督として大成します。

アルフレッドは、サルヴァトーレの才能を見抜き、

このまま田舎町にいたらサルヴァトーレの才能が腐ってしまうと考え、

立派な映画監督になるまでは、郷愁に惹かれて故郷に帰ってくるなと言ったのです。

 

私は実家が近いので、ちょこちょこ実家に帰ってしまうのですが、

このアルフレッドの発言はグサッときました。

郷愁の感情に流されるようでは、何者にもなれません。  

 

三島由紀夫の警句

三島由紀夫がこんなことを著書に書いています。

 

バルザックが恐ろしいことを言っています。

すなわち、「希望は過去にしかない」と。

人生で、いちばん空しく、みじめなことは何でしょうか?

それは「かつては……だった」「かつては美しかった」「かつては強かった」「かつては有名だった」等々、

生きながら、自分の長所に過去形を使うことです。

 

これもまた至言ですね。

居酒屋で昔の同級生と集まって話す時間は楽しいです。

「あの頃俺はこんなにモテた」「こんなに勉強ができた」昔話に花が咲きますが、

結局は昔話にすぎず、寝て起きれば何者でもない自分がいるだけです。

 

ジブリの映画プロデューサー鈴木敏夫は、宮崎駿について、

以下のように述べています。

 

とにかく過去を振り返らない。

あの人ほど過去を振り返らない人はいない。

 

過去を振り返った瞬間、

美しかった過去の栄光に引きづられることを知っているのでしょう。

 

過去でも未来でもなく、今を生きる

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過去のある時点の思い出や、未来の楽しみに思いを馳せるのは大切です。

過去がなければ、現在の自分の思想や行動の立脚点がなくなってしまうし、

未来がなければ、現在の自分が頑張るモチベーションがありません。

 

しかし、あくまで生きているのは今です。

何となく地元に帰って、昔の友達に会って思い出話をするのではなく、

「今こんなことをやっている」という話ができれば良いなと思います。