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WHOにより新たに認定された「ゲーム依存症」が「ゲーム脳」と違って深刻な問題である理由

こんにちは、マスラオです。

先日、WHO(世界保健機関)により、新たに依存症と認定された「ゲーム障害」。

障害と認定されるに至った理由と、

ひと昔前に流行った「ゲーム脳」理論との違いを考察してみます。

 

そもそも、トンデモ理論だった「ゲーム脳」と異なり、

ゲーム依存症は、真剣に取り組んでいかなければいけない課題だと感じています。

 

 

 

ゲーム依存症とは何か

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国際疾病分類に「ゲーム障害」が新たに追加

WHO(世界保険機関)が採択する「国際疾病分類(ICD)」に、新たな疾病として、

「ゲーム障害」が追加されました。

ICDに新たな疾病が追加されたのは、29年ぶりのことです。

ICDとは、「様々な病気をまとめたリスト」と考えてもらえればOKです。

 

ゲームの危険性については、子供をなるべくゲームから引き離したい親の観点から

虚実不明のリスクが様々に喧伝されてきましたが、

WHOという公的機関により、新たなリスクのお墨付きをもらった形になっています。

 

この「ゲーム障害」が、実質「ゲーム依存症」にあたるものだとして

日本でも大きく注目を集めています。

 

ゲーム依存症と判断される基準

WHOによれば、以下の診断基準を満たす場合、

ゲーム障害(ゲーム依存症)と認定される可能性が高いとしています。

 

・ゲームをする時間や頻度を自分でコントロールできない

・日常生活でゲームを他の何よりも優先させる

・生活に問題が生じてもゲームを続け、エスカレートさせる

・上記3つの条件に当てはまる状態が1年以上続く

 

「依存症」なので、一定期間幅をとってみないと症状が出ているかはわかりません。

それにしても、1年以上というのは少し長いなと思いましたが、

ゲーム依存症の特性による判断基準と考えると、長すぎとも言えないようです。

 

ゲーム依存が酒やタバコ依存と異なる点

国際疾病分類には、ゲームに先駆けて、

酒(アルコール)やタバコ(ニコチン)依存症の項目が列記されています。

 

酒やタバコへの依存が、今回のゲーム依存症と異なるのは、

酒やタバコは、それ自体に含まれている成分に対する身体的依存なのに対し、

ゲーム依存症は、成分ではなく、ゲームをしている時間や優先順位の付け方といった、

社会性に関する評価軸によって、依存症かどうかを判断する点です。

 

・酒・タバコへの依存→身体的依存

・ゲームへの依存→精神的依存

 

つまり、ゲーム依存症は、否が応でも、

社会との関わり方に不具合を生じさせるのに対し、

酒やタバコの依存者は、表面的には社会でうまく生きていくことが可能なのです。

 

日本人のトラウマ「ゲーム脳」

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「ゲーム脳」というトンデモ理論

ところで、あなたは「ゲーム脳」という言葉を覚えているでしょうか。

20代後半以上の方は、なんとなく聞き覚えがあるかもしれませんが、

かつて、この国では『ゲーム脳の恐怖』という1冊の本が猛威を振るいました。

 

「猛威を振るう」と書いたのは、

この本が、研究データとして有意な客観的証拠や結論を導くのに妥当な推論をせずに、

「ゲームは危ない」という結論ありきで書かれてしまったことで、

ゲームの地位を不当に貶めることになってしまったからです。

 

『ゲーム脳の恐怖』の恐怖

『ゲーム脳の恐怖』は、2002年にNHK出版から出版された森昭雄氏による著作です。

森氏が「ゲーム脳」を提唱するに至った根拠は以下の通りです。

 

医学的手続きを踏まず、独自に開発した簡易脳波計で、

脳波を表す「α派」、「β派」を独自の解釈に変えた上で、

日常的にゲームをする人は、認知症患者と同様β波が減衰するため、

ゲームは脳に認知症と同じ症状をもたらす可能性があると判断した。

 

この、穴だらけの理論が、学者や有識者からいかに批判されたかは後述しますが、

当時のマスコミや教育関係者は、こぞってゲーム脳を事実かのように取り上げ、

「ゲーム脳」という言葉は、流行語にまでなりました。

 

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当時のテレビ番組で取り上げられる「ゲーム脳」

 

当時は、佐世保の小六女児殺害事件や、秋葉原通り魔事件など、

「ゲーム脳」に関連づけて語られる事件がかなり多かった印象です。

 

あらゆる方面から「ゲーム脳」はボコボコにされる

当然、科学的な実証手続きを踏んでいないため、有識者から激しく批判されました。

批判意見の一例を、グループごとに並べてみます。(Wikipediaより)

 

実験手法に対する批判

 

・ゲームの種類や年齢、ゲームへの取り組み方などによる

 脳の反応の研究結果が一切ないため、

 「ゲーム脳」は、「個人の単なる妄想であると思っている」

 (東北大学教授・川島隆太)

・「実験の組み方にも疑問が残る」

 (京都大学名誉教授・久保田競)

 

森氏の基礎知識の不足に対する批判

 

・脳波の基本的な定義から間違っていることを指摘

 (東京大学教授・馬場章)

・「とんでもないミスがゴロゴロしている」、脳の基礎知識や

 脳波の計測方法などの基本的な部分から誤っていると指摘

 (精神科医・斎藤環)

 

研究結果の解釈に対する批判

 

・「脳波を、特定の脳領域の働きと対応づけるのは難しい」

 (京都大学名誉教授・久保田競)

・認知症患者と「キレやすい」特徴の因果関係が結びつかない

 (東京大学教授・馬場章)

・「ゲーム脳と少年犯罪の関連について、恣意的な解釈を行っている」

 (作家・川端裕人)

 

「ゲーム脳」は科学的に立証されていないトンデモ理論

ということで、「ゲーム脳」は各方面から猛攻撃をくらい、

2003年の日本トンデモ本大賞の最有力候補に選ばれるまでになりました。

 

ただし、この本が話題になったことは、一定の意味があったとも考えられます。

 

・ゲームが脳に悪影響を与えることはないことがわかった

・ゲームと犯罪との相関関係がないことがわかった

・ゲームの正の側面について見直されるようになった

 

この数年後に、ニンテンドーDSが大ブームとなり、

大人世代も『脳トレ』などのゲームをやるようになったのは皮肉な話です。

 

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「ゲーム脳」と今回のゲーム依存症は何が違うのか

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ゲーム依存症は、社会との分断がわかりやすい

Twitter界隈を見る限り、

WHOがゲーム依存症を疾病に追加したことについて否定的な意見が多いようです。

意見のほとんどは、「ゲーム脳」の誤りをまた再現するのかという憤りの意見です。

日本のゲーマーの間には、いまだに「ゲーム脳」のトラウマがあることがわかります。

 

ただ、私は、今回の「ゲーム依存症」は、

「ゲーム脳」よりもはるかに論理に正当性がある話だと思っています。

 

それは、ゲームにより引き起こされる生理的現象ではなく、

ゲームに熱中する行動特性の弊害を問題とした点です。

 

ゲームではなく、依存に問題がある

行動特性によって現れるゲームへの精神的依存がゲーム依存症です。

 

「ゲームが脳を壊すからダメ」とか「ゲームをやると認知症患者と同じになる」とか

『ゲーム脳の恐怖』で語られているような稚拙な理由ではありません。

 

極端に言うと、ゲームを1日20時間やり続ける人がいたとしても、

それによって実社会の生活に支障が出ていなければ

その人はゲーム依存症ではありません。

  

酒もタバコも、節度を守って嗜む限りは問題ないですよね。

依存により、社会生活に不具合が生じ、

それにもかかわらずゲームをやめられない「心の弱さ」が依存症なのです。

 

孤独を埋めるために、ゲームに依存する

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ネットゲームは依存するポテンシャルが高い

「ゲーム依存」と聞いて、真っ先に思いつくのはネットゲームの依存です。

アニメや漫画で、いわゆる「オタク」の代名詞として描かれるキャラクターは、

かなりの確率でオンラインゲームに夢中になっています。

 

さらに言うと、このネトゲ依存は、世界の中でも、特に中国・韓国に多いようです。

 

www.sankei.com

 

日本では、ゲームと言えば、任天堂やソニーなどが販売する

据置型ゲーム機または携帯ゲーム機で遊ぶものというイメージが強いですが、

中国や韓国では、PC一台あればできるネトゲが圧倒的なシェアを占めています。

 

パソコンの前に一日中座り続け、席を立つのもトイレに行く時くらいという

「ネトゲ廃人」の姿は、ニュースなどで報道され記憶に新しいのではないでしょうか。

何十時間も同じ姿勢で座り続けた結果、

エコノミークラス症候群にかかって、そのまま亡くなる方もいるようです。

 

ネトゲ依存は、「寂しい」から?

私自身は、ゲームが好きですが、ネトゲはあまりプレイしません。

というのも、ネトゲの面白さは、「人と繋がる」ことの面白さであって、

ゲーム固有のゲーム性ではないと考えているからです。

 

協力して敵を倒すことの楽しさや、

画面の中で自分のキャラがどんどん強くなっていった結果、

周りの人に頼られるようになってくると、ますます楽しくなります。

 

ネトゲとは言っても、画面の向こう側にいるのは生身の人間なので、

プレイヤーは、擬似的な社会を体験しているような感覚を受けます。

 

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もしかすると、リアルの社会では上手くいっていないかもしれないけれど、

ネトゲというもう一つの社会では、みんなから承認され、

人と話すことや協力することの楽しさも実感できるとなれば、

リアル社会よりもネトゲ社会を優先させるのは当然でしょう。

 

ネトゲの社会で生きていくのは過酷さもある

2ちゃんねるの有名なコピペに以下のようなものがあります。

 

503 名無しさん@十周年 New! 2009/06/24(水) 21:26:18 id:Mt5OY3ED0
ギルマス:「Bさんって社会人だったっけ?」
B:「そうだよーw」
ギルマス:「戦争に向けてギルド強化するので」
B:「うん」
ギルマス:「仕事辞めてくれませんか?」
ギルマス:「あとギルメンが交代でキャラ育成するので IDとパス教えてください」

 

上のコピペを解説すると、

MMORPGでの一大イベント(戦争)を前に、

「ギルド」というグループのようなものに入っていたBさんは、

そのギルドのマスター(ギルマス)に、

「イベントに備えて仕事を辞めろ」と言われているのです。

 

これは、半分冗談かもしれませんが、

ネトゲ廃人の中には、寝食忘れてネトゲに打ち込んでおり、

実社会での生活よりも、ネトゲでの生活の方が大事という人がいます。

 

「1日でもログアウトしたら、他の人に置いていかれる」

「誰よりもこのゲームで強くありたい」

 

という思いから、精神的なノルマを自分自身に課してしまうのです。

 

依存から脱した時に見えてくるもの

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ネトゲ廃人から立ち直った人々の言葉

かつてネトゲ廃人だったと思われる人々の言葉をネットから拾ってきました。 

失った時間に対する後悔の念が伝わってきます。

 

若い時に努力した人にはやっぱりかないません。
ほんと、ゲームなんかで時間を無駄にしないでほしい。

 

4年間ネトゲやって最終的に得たものは脂肪と人生で生きていくのにまったく必要のない知識

 

ネトゲって、本当に何も残らないんだよ。
「時間を無駄にしたという後悔」以外は。

 

リアルとネトゲのレベルは反比例

 

やってる時はすごく楽しい

ネトゲって本当にやっている時はすごく楽しいんです。

私も、大学時代、対戦型のネットゲームにはまり、

朝まで友人たちとスカイプをしながら遊ぶというのを毎日やっていました。

 

そのゲームは今ではサービス終了しており、

ゲームで培った技術や知識が役立つことはほぼありません。

 

人生に無駄な時間はないと思いたいですが、

あのゲームをやっていた時間を、他のことに回していたらとは思います。

 

現在を楽しむのが悪いとはまったく思いません。

ただ、楽しみ続けた末に、

ゲームのサービス終了と虚無感だけが残るのでは、損した気分になりますよね。

 

依存から脱するには、楽しみを分散させる

私から言えるのは、ネトゲはネトゲで楽しみましょう、

ただし、ネトゲ以外のもので楽しめる趣味も持ちましょう、ということです。

 

楽しみが分散されていることで、

ネトゲが楽しめなくなっても、他の楽しみで十分人生は輝きます。

 

私の友人にも、かつてネトゲにはまっていた人がいます。

もともとそんなにゲームをする方ではなかったのですが、

大学時代暇を持て余して手を出したMMORPGにどハマり。

その後、社会人になって「釣り」という新たな趣味を見つけるまでは、

ほとんど毎日12時間以上をネトゲに費やしていました。

 

今回のWHOの決議をきっかけに、

日本でも依存症から立ち直るための議論が盛んになれば良いなと思います。