こんにちは、マスラオです。
任天堂の元社長・岩田聡氏が亡くなってもう4年経つのですね。
前任の山内社長も相当アクの強い人だったそうですが、
現在20代後半の私からすると、やはり任天堂の社長は岩田さんのイメージです。
そんな岩田さんの回顧本が、ほぼ日の編集で出版されるようです。
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
・書名:『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
・著者:ほぼ日刊イトイ新聞
・発行:ほぼ日
・価格:1700円+税
・ページ数:224ページ
岩田さんが話していたこと
タイトルの通り、生前、岩田さんがインタビューや「社長が訊く」で話したことから、
重要な言葉を抜粋して再構成した一冊になるそうです。
以下、公式サイトの紹介文です。
任天堂の元社長、
岩田聡さんのことばをまとめた本をつくりました。
出しましょう、と決めてから、
長くかかってしまいました。
任天堂株式会社さん、
そして岩田さんのご家族にもご承諾いただき、
すこしずつ進めていましたが、
このたびようやくお知らせできます。
ほぼ日刊イトイ新聞に掲載されたたくさんの対談、
そして任天堂公式ページの「社長が訊く」のなかから、
岩田さんのことばを抜粋し、再構成しました。
岩田さんの経歴、経験、価値観、哲学、経営理念、
そしてクリエイティブに対する思いなどが、
凝縮された本になったと思います。
また、本のなかには、
任天堂の宮本茂さんとほぼ日の糸井重里が
それぞれに「岩田さん」をたっぷり語る
特別インタビューも収録しました。
「岩田さん」のイラストは100%ORANGEさんによるもの。
ブックデザインは名久井直子さんにお願いしました。
「ゲーム人口の拡大」というテーマを掲げ、
世界中のゲームファンとゲームクリエイターに愛された、
岩田聡さんのことばが、
本のかたちでたくさんの人に届きますように。
監修 糸井重里
構成・編集 永田泰大
目次
以下、GameWatch公式サイトから、目次を引用します。
[第一章 岩田さんが社長になるまで。] 高校時代。プログラムできる電卓との出会い。/大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間。/HAL研究所黎明期とファミコンの発売。/社長就任と15億円の借金。/半年に1回、社員全員との面談。/もし逃げたら自分は一生後悔する。◆岩田さんのことばのかけら。その1
[第二章 岩田さんのリーダーシップ。] 自分たちが得意なこととは何か。/ボトルネックがどこなのかを見つける。/成功を体験した集団が変わることの難しさ。/いい意味で人を驚かすこと。/面談でいちばん重要なこと。/安心して「バカもん!」と言える人。プロジェクトがうまくいくとき。/自分以外の人に敬意を持てるかどうか。◆岩田さんのことばのかけら。その2
[第三章 岩田さんの個性。] 「なぜそうなるのか」がわかりたい。/ご褒美を見つけられる能力。/プログラムの経験が会社の経営に活きている。/それが合理的ならさっさと覚悟を決める。/「プログラマーはノーと言ってはいけない」発言。/当事者として後悔のないように優先順位をつける。◆岩田さんのことばのかけら。その3
[第四章 岩田さんが信じる人。] アイディアとは複数の問題を一気に解決するもの。/宮本さんの肩越しの視線。/コンピュータを的確に理解する宮本さん。/『MOTHER2』を立て直すふたつの方法。/『MOTHER2』とゲーム人口の拡大。/糸井さんに語った仕事観。/山内溥さんがおっしゃったこと。◆岩田さんのことばのかけら。その4
[第五章 岩田さんの目指すゲーム。] わたしたちが目指すゲーム機。/まず構造としての遊びをつくる。/暴論からはじめる議論は無駄じゃない。/従来の延長上こそが恐怖だと思った。/もう一回時計を巻き戻しても同じものをつくる。/ふたりでつくった『スマッシュブラザーズ』。/『ワリオ』の合言葉は、任天堂ができないことをやる。/ライトユーザーとコアユーザー。◆岩田さんのことばのかけら。その5
[第六章 岩田さんを語る。] 宮本茂が語る岩田さん「上司と部下じゃないし、やっぱり友だちだったんですよ」/得意な分野が違っていたから。/新しいことに名前をつけた。/違っていても対立しない。/一緒に取り組んだ『ポケモンスナップ』。/本と会議とサービス精神。/「見える化」と全員面談。/素顔の岩田さん。糸井重里が語る岩田さん「みんながハッピーであることを実現したい人なんです」/会えば会うほど信頼するようになった。/みんなの環境をまず整えた。/どういう場にいてもちょっと弟役。/ずっとしゃべってる。それがたのしいんですよ/病気のときも、岩田さんらしかった。/「ハッピー」を増やそうとしていた。
[第七章 岩田さんという人。] わからないことを放っておけない。◆岩田さんのことばのかけら。その6
こうして見てみると、社長になってからだけでなく、
高校・大学時代や、HAL研究所時代などもきちんと扱っているようです。
個人的な岩田社長の思い出
岩田さんと呼ぶのに違和感があるので、ここからは「岩田社長」と呼びます。
2000年代の任天堂の顔
社長といえば、厳格な風貌をして、少し怖そうなイメージがありますが、
岩田社長はいつも柔和な笑みを浮かべていて、丁寧な語り口で話していたので、
SCEの久多良社長や、平井社長に比べて、親しみを感じたのを覚えています。
現在は、任天堂の社長が表に出てくることはあまりありませんが、
岩田社長は、E3の基調講演から、Nintendoダイレクトにおけるプレゼンテーション、
「社長が訊く」でのインタビュアーの役割まで、
とにかくメディアに登場する機会が多い人でした。
だから、多くの人に、任天堂の社長=岩田さんという記憶があるのだと思います。
ゲームメディアに接する機会の多い小中高の大半を2000年代に過ごした私にとって、
任天堂の顔といえば、岩田社長でした。
頭脳明晰で論理的な人
岩田社長は学歴だけ見てもすごい(東京工業大学卒)のですが、
話の節々に論理的な思考の切れ端が見え隠れします。
私が今でも覚えているのは、2007年、Wii発売直後に、
ほぼ日を訪ねた岩田社長と糸井重里氏の会話です。
以下、ほぼ日公式HPより引用します。
糸井 :
「どうして海外の電話って、遅れて聞こえるんでしょうね?」って質問したの、覚えてます?
岩田 :
はい、覚えてますよ。
糸井 :
電波の速度って速いのに、海外と電話すると届くのが遅れるじゃない?
なんでこんなに遅れるんだろうって岩田さんに突然訊いたんだよ。
そしたら、納得のいく答えをすぐに答えてくれた。
岩田 :
えーっと、昔の電話のほうが、いまよりも遅れて聞こえていました。
いまの国際電話は海底のケーブルを使うことが多いんですが、昔は衛星でした。
静止衛星というのは、地球の表面から36000km離れた場所にあります。
つまり、一度、上空36000kmまで行って、そこから36000kmかけて帰ってくるので、
合わせて70000km余りかかるんですね。
「もしもーし」「はいはーい」というやり取りをする場合は、
衛星とのあいだを信号が2往復するんです。
そうすると140000km強になるんですね。
光とか電波は1秒に約300000km動きますから、140000kmの距離を動く場合は
だいたい、0.4秒の間になるんですよ。
ですから、現実に「もしもーし」「はいはーい」を体験すると、
0.4秒のタイムラグができるんです。
糸井 :
これを、一気に答えたんだよ。
何事も、「なぜ」を突き詰め論理的に考える人でした。
DSもWiiも、停滞するゲーム業界に革新をもたらしましたが、
岩田社長にしてみれば、論理的に考えて当然の帰結だったのかもしれません。
「ゲーム人口の拡大」を目標に掲げ、達成した人
ニッチ化する家庭用ゲーム業界に、いちはやく危機感を持った人でもあります。
すでにGCの頃から、コントローラのボタンを大きくするなど、
ゲーム初心者にもわかりやすいような方策で、門戸を広げていましたが、
DS・Wiiで、ライトゲーマーへのゲームの浸透はピークに達しました。
脳トレや英語漬け、Wii Fitにお料理ナビなど、
それまでゲームをまったくやらなかった主婦層や高齢層にも大ブームとなりました。
あの時、DSやWiiが出ていなかったら、
ゲーム業界は緩やかに衰退していくだけだったかもしれません。
ゲームの新たな楽しみ方を教えてくれた人
私にとって、岩田社長は、「社長が訊く」の人でもあります。
ゲームの制作風景や裏側など、ゲーム制作の面白みを伝えてくれるインタビューは、
当時思春期だった私を虜にし、いつかゲームを作ってみたいと思わせてくれました。
現在は、別の仕事に就いていますが、
趣味でゲームを作っているのも、あの頃の岩田社長がいてくれたからです。
ライトゲーマーを連れてきただけでなく、
従来からのゲーマーをより深いところに連れて行ってくれたのも岩田社長でした。
尖った任天堂の再来を期待する
任天堂は、誰にでも安心・安全なゲームを提供するイメージがありますが、
実はどのメーカーよりもチャレンジャーです。
ディスクシステムやバーチャルボーイ、もちろんDSやWiiなど、
「枯れた技術の水平思考」に代表されるアイデア勝負のゲームは
いつの時代もゲーム業界に波乱を巻き起こしてきました。
Switchは素晴らしいゲーム機ですが、思想としては、WiiUの進化版です。
今後の次世代機で、かつてのDSやWiiのようなパラダイムシフトを起こすゲーム機が登場することを期待します。
それはきっと、岩田社長が目指した未来であるはずです。